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恵みの猟

By Jeffrey Campbell

前の物語

キールはバイザーの倍率を調整して、アーモンド形をしたカリッドの葉に焦点を合わせた。粉を吹いたような白い霜で翡翠色の輝きが失われている――氷節の訪れを告げる贈り物だ。

キールにとって霜などどうでも良かった。彼女の注意を引いているのは、葉の表面に斜めに付けられた、ピンク色がかった雷光のような発光性のクリスタルだ。緑の葉の上に形成された奇妙な蓄積物が、光の幻視を思わせる不思議な渦を描いている。葉脈が絡み合い幾何学的な模様を織りなしている。細胞構造が破裂して。

エンバーが花開いている。キメラ突然変異体だ。

葉っぱを落とすとキールはカリッドの木を見上げた。均等な間隔で伸びる2列のピンク色のエンバーは、ごつごつとした樹皮を斜めに横切っている。通常より大振りのこれらのクリスタルは彼女の手ほどの大きさがあり、先端が削ぎ落された典型的な四角錐型をしていた。しかし内から発している光はバラ色で、今にも爆発しそうなほどのパワーを秘めている。

既知のどのエンバーとも異なっている。

キールは気分が高揚していくのを感じた。スーツのスラスターを起動すると空高く飛び上がり、上空から谷を見渡した。サンドリック低地特有の眺めだった。ヘリオストの山々の裾から湿潤な荒れ地が広がっている。濃い霧が大地を覆い、その合間合間に苦しげな木々と崩れ落ちそうな城が顔を出している。これらの光景は、10リーグほど北に開ける銀色の大海、サンドリック海との接点で終わりを告げる。この海の向こう側はシュトラルヘイムだ――水平線の遥か彼方にひしゃげた署名のような陸影が見える。

風に氷の結晶が混じっている。そして他にも… 嗅いだことのない強い匂いが漂っている。

インターセプターのセンサーがノイズを発した。それらのノイズにより、谷を見下ろす北西部の岬へとキールの注意が向いた。調整したレンズを通じて、切妻屋根と先の尖った丸太の柵が見えた。どちらも霧の中で朧に霞んでいる。 

地面に再び降り立ち、キールはエア・スレッドをスーツに取り付けた。村の外の朽廃した城に目を配りつつスラスターを使って谷の反対側までジャンプすると、今にも崩れそうな廃墟の真っただ中に着地した。武器やキャンプ用の装備を収納したスレッドをそこに隠すと、キールはSMGとダガーのみを身に付け、

渦巻くような凍てつく霧をまっすぐ突き進み、村へと歩いて行った。丸太の柵が姿を現した。彼女はそれを飛び越えると、音もたてずに2棟の木造建物の間にある路地に着地した。どちら側の壁にも、ピンク色のクリスタルが唐草模様を描いて一面に張り巡らされている。それらを辿ると大きな広場に出た。

四方には荒廃した風景が広がっている。農民の住まいは破壊され廃墟となっており、死体が泥の中で凍り付いている。センチネルの監視塔は3階部分で倒壊しており、通りには崩落した上階の塁壁が積み重なっている。

そこかしこにクリスタルがあった。地面と壁に不可解な2列の跡をびっしりと刻み込み、ピンク色の宝石から削り落とした紅潮するタイタンのように村に覆いかぶさっている。死者の頭蓋骨からも突き出ている。キーキーとエンバーの音を奏でている。

「賛歌」のエコー。

物悲しい呻きが再び沈黙を貫き、村はずれへと彼女を引き寄せた。そこでは十代半ばの村娘が、掘られて間もない5つの墓の側で嗚咽していた。少女が身に付けている農民らしい衣服はボロボロに裂けて焦げており、白銀の大地は血に染まっていた。

このようなむき出しの嘆きは、見るのもつらいものだ。にもかかわらず…

キールの口の端には抑えがたい笑みが浮かんだ。

ああ。やった、ここにいるんだ。

***

キールはセンチネルの監視塔の露出した3階部分にキャンプを設置した。そこからは、霧の戯れ具合にもよったが村の四方と谷の反対側を見渡すことができた。キールはハンモックテント、スパイグラス用の三脚、ノートなどをはじめ、スナイパーライフル、狩猟用ライフル、SMG2挺、ボルトランスなどの武器と、愛用のリーチ――緑色に光る9インチのポイズンダガーも持って来た。狩りを成功させるのに必要なものすべてだ。

それからジャベリンを脱ぐと、損傷がないかチェックした。これは特注のインターセプターで、メタリックブラックの装甲と、耐火モスリンのハーフマント、フード、ロングスカートで装飾されている。キールはすべての関節のエンバー・リングを点検した。針金のように細いオレンジ色のリングは、セラミックの接続金具の間で確かな輝きを放っている。フェイスプレートの顎部分には、彼女のパトロンであるプリンセス・ズィムの印が輪郭に沿って銀色に刻まれており、舞い落ちる雪を映していた。

その後、キールは谷の反対側に偵察機を飛ばした。ここら一帯は、夏場にはへロッサー氷河から流れ込む川の影響で冷涼な緑の楽園となる。今は凍てついた滝が谷の南端を覆い、丘陵に富んだ2つの山脈が外側に広がってVの字を形成している。これらの山脈には5つの険しい峰があり、2つは左側に、3つは右側に、そして左側の手前の峰のふもとには村があった。峰の合間には寒々とした湿原地帯や、氷結した湖、雪化粧をまとった森などの大自然が広がっている。

それらをくまなく捜索するには、何日もかかるだろう。

白い太陽が地平線に沈むと、キールはキャンプに戻って火を灯し、じっと待った。ウルヴェンが森の端に居座っていた。燃えるような黄色い目が、その意図に背いていた。スコープと狩猟用ライフルを使ってキールは一息つく間に5頭を仕留め、冷凍するため火の熱が届かない場所に積み上げた。

1頭が火に焙られる間に、群れの残りは夕闇の中に消え去った。

陽の光が薄れ始めた。キールは、咀嚼という単調な動作を繰り返すたびにひきつった顔の傷跡がこわばるのを感じつつ、調理済みのウルヴェンを食べた。

長い間、彼女は座っていた。大自然の音に耳を傾けた。廃墟の村が風にきしむ音に耳を澄ませた。空がすみれ色になって藍色に変わり、そして漆黒に移りゆくのを眺めた。星座が夜空に浮かび、大昔の伝説を物語っていた。

神々と怪物。ハンターと獲物。生ある者の行いは天に刻まれ、星々が言葉を紡ぐ。

キールはごくりと唾を飲むと、首に下げた袋から灰色の塵をひとつまみ取って火の中に投げ込んだ。きらきら輝く銀色の形象と色鮮やかなシンボルが炎の上に奔出して、薄明りの中に謎に満ちた物語を吹き込んでいる。

その不明瞭な像から意味を読み取ろうとキールは目を凝らした。狩りから得られるのが何であるか、お告げを受けようと試みた。栄光?富?もしかしたら満足感を得られるのか?小悪党としての人生を歩むうち、遥か昔に埋もれてしまった楽しい日々が戻ってくるのか?

キールはため息をついて、目を閉じた。具現者の言葉を読み取ることはできなかった――誰にもできやしないのだ。それらは、この最終楽章に残されたいかなる生ある者より遥かに偉大な存在たちの、沈黙の思考なのだ。それでもキールは希望を抱いていた。どこかに、彼女の存在に気付いている誰か、もしくは何かがいることを。それらの者たちの偉業を証拠立てる。  

その見返りに、キールは自身が最も必要としているものを求めた。

救済を。 

***

次の日、キールはノートに大まかなマップを描き、村、5つの峰、氷瀑、海岸線、2つの大きな氷結湖、点在する小沼など、役に立ちそうな地理情報をすべて書き留めた。同時に、平行線を描くエンバーのバラ色の跡を追った。それらの跡は、谷のいたる所をジグザグに進んだかと思うとクネクネとつたい、時に絡まり、また時に数リーグも進んで、明白な理由もなく途絶えたりしていた。

その日、キールは生き残った少女がマンダーの茂みから果実を集めているのを二度目にした。少女はがつがつと貪欲に食べると、食べた量より多くの果実を持って雪のなかを村に持ち帰った。その後、キールは少女がセンチネルの兵舎に入るのを目撃した。攻撃後も建ち残っている数少ない建物のうちのひとつだ。

スパイグラス越しに、キールは負傷したセンチネルの看病をする少女を眺めた。男には意識がなかった。苦しんでいる。兵舎の柱に立てかけられた、自身が属する勢力の巨大なジャベリンの中に今もなお閉じ込められている。静かな絶望感を漂わせつつ、少女は男に果実を与えた。

1時間ほどかけて死にかけの男に食べ物を与えると、少女は様々な用を足した。今にも崩れそうな壁を補強したり、破壊の爪跡が残る避難所の、吹きすさぶ風で裂かれた隙間を埋めたり、チロチロと燃える火の番をしたり。
キールは顎をこすって眉をひそめた。並外れた集中力で重労働をこなしていたが、少女が置かれた状況は絶望的だった。
冬は始まったばかりであり、ウルヴェンは腹を空かせている。

その後、少女が再び去った隙を見てキールは兵舎の中に入り、センチネルをまじまじと見た。部屋の中にある何かが、腐敗よりもひどい悪臭を放っていた。発酵した香水を連想させる、花と酸を混ぜたような匂いだ。

その男の頭部は見るも恐ろしいものだった。キメラ突然変異によって左側頭部は変質しており、皮膚は泡立ったり削り取られたりしている。感染部の中心から突き出ているのは、あの非現実的なピンク色をしたエンバーの突起であった。尖端が平らな四角錐の突起物はどうやら男の頭蓋骨と融合しているらしく、そこからは光とノイズが放たれている。男の首から鎖骨にまたがる傷には、不器用に包帯が巻かれていた。

エンバーによる傷を避けつつ、キールは鎖骨部から包帯を剥ぎ取った。腐った花の匂いが雲のように立ち上った。彼女がこれまでに目にしたどの傷口感染とも異なっている。キールは吐き気を抑えつつ、より間近から観察した。

首の下に4列に並ぶ深くてギザギザの裂傷からは、血液がどくどくと溢れ出た。

動物による傷。致命傷であることは間違いない。

汚い地面に包帯を落とすと、キールは男を揺さぶった。男が反応を示さなかったため、キールは氷のように冷たいリーチを男の首に当てた。それにより男の意識が回復した。

「誰だ…?」

「何にやられたの?」

男の視線がキールのジャベリンの上をさまよった。「あんたはコルヴァスか?」

「この匂いはクリーチャーのせい?」

男はゆっくりと息をついた。不信感を抱き始めているようだ。「まず彼女を助けてくれ」

キールはフェイスプレートを上げると、傷跡で醜くゆがんだ顔でにらんだ。

すべての希望が失われた。男の声が嫌悪感に震えた。「レギュレーターめ」

「先に質問に答えな。そしたら、あんたとあの子を助けてやるわ」

しかし、センチネルは毅然とした態度を崩さなかった。男は彼女から目をそむけ、二度と口をきかなかった。

***

しばらく後、キールは監視塔で焚き火のそばに座って、こわばった顔の傷跡をこすっていた。昼間にさらにもう6頭のウルヴェンを狩り、その内の串刺しにされた1頭がそろそろ焼きあがろうとしている。

その間に、少女が近くに忍び寄っていた。少女の薄汚れた足が慎重に瓦礫の上を進む。黒装束のハンターから目をそらすことなく火のそばに座ると、少女はほっと身震いした。

キールは、自分の所有物に用心深く目を凝らす少女を眺めた。テントやエア・スレッド、三脚、スパイグラス、数々の現代的な武器を見終わると、少女は丸焼きにされるウルヴェンを見て目を丸くした。しばらくすると、少女は質問を口にし始めた。

だがキールは傷跡がある側を見せてそっぽを向いた。溶けた金属のように不気味に波打つ肌が、焚き火の灯りに照らされた。その瞬間、少女の質問は途切れた。

キールは微笑んだ。負傷によって醜い傷跡が残ったとはいえ、それにより会話をしばしば簡略化できることをキールは楽しんでいた。

会話をする代わりに、20分近く沈黙が続いた。すると唐突に、
「なぜここに来たの?」と少女が尋ねた。 

「狩りをしてる」

「マンティカー?」

キールの眉が上がり、興奮による震えが全身を貫いた。

伝説ではない。少女にとってマンティカーは実在の生物だ。

「私は見てないの。あれが来た時、寝てたから。みんなは幼体だって言ってたけど」

キールは彼女をじっと見つめると、鼻をすすって焚き火のそばへ戻った。「その情報と引き換えに肉をあげたのに。嘘をついたって私には知りようもないんだし」

それを聞いても少女は動揺しなかった。「それを狩ってどうするの?」

「危険な生物を野放しにして人々を危険に晒すことはできない」

沈黙。疑っているのだ。 

「わかったよ」キールがにやりと笑った。「ホントのところ、私はただの邪悪な欲の塊さ。あれを捕獲して犯罪集団のボスに引き渡す代わりに、取り入るつもりなの」

少女はじっくり考えて、うなずいた。

14歳くらいだろうか?間に合わせのブーツに、ぼろぼろの作業着を着ているのみだ。しかしまだ生きている… 他は皆死んだというのに。キールは体の向きを変え、炎を見て顔をしかめた。また顔をさする。

「あの人を助けてはくれないんでしょ?」

「誰? あのセンチネルのこと?あいつはもう死んでる。じゃなきゃ、もって明日だ」

「顔、どうしたの?」

キールは鼻先で笑った。「これ?わざとやったのさ。ガキを怖がらせるために」

「でも、怖くない。ただの不細工なおばさんじゃない」そう言って少女は立ち上がると、あっさりと去って行った。

怒りでキールの首が火照った。少女の背中をSMGで木っ端みじんに吹き飛ばしたい衝動にかられた。
しかしそれを抑えると、キールは鼻を鳴らして粗野に笑い、頭を後ろにもたげて目を閉じた。

しかし笑っても気は晴れなかった。少女は痛いところを突いてきたのだ。

心の奥底から疑念が湧き上がり、これまでにないほど表面近くまでこみ上げてきた。恐れと後悔。失望と裏切り。失敗した場合に下される罰。いや… 幾度も繰り返された失敗への償いだ。

すべてが始まってから長い年月が経っているズィムとキール。生き残るために殺した少女たち。今ではズィムはプリンセスで… 私は何者なのか?辛うじて彼女の哀れな配下に留まっている。

唾を飲み込んでひとつまみの灰をつかむと、憎々しげに火の中に放り込んだ。突如現れた非現実的な具現者のシンボルに目を凝らし、キールは救済策を見出そうとした。

しかしそこには何もなかった。いつもと同じ、具現者の戯言があるのみだった。キールは燃える丸太を蹴って火花の雨を降らせ、古代の図形を消し去った。

***

3日目、キールは奥地まで進んだ。跡という跡をすべて辿った。轟音とともに森を突き進み、にわか雪で積もった雪を蹴り上げ、凍てついた木々をスラスターの風圧で粉々に砕き、金切り声をあげる動物たちを藪の下へと追い散らした。

失敗の危機がすぐ足元まで迫っていた。飢えたウルヴェンのように。

その日の午後遅く、谷の東側にある3つ目の峰へと続く高地の、分厚い氷が垂れ下がったアーチ型の崖の下でキールは山のように積まれた氷結死体を見つけた。ウルヴェンが19体、きれいに食べつくされたアンリサウルの殻が3つ、小型の野生動物の宿主が1体、そして27人の人間の死体――これは村の人口の過半数にあたる。

それらの死体は、赤みがかったエンバーで作られた、目が眩むような縞模様に囲まれていた。壁面と地面との両方に張り巡らされたこれらの縞模様は、どれも得体の知れない平行な螺旋を描いていた。これらのエンバーの開花を誘発したのは、間違いなくマンティカーだ。それがどうして起こったかは、アルカニストでなければわかるまい。

そして匂い…ここの匂いは異なっていた。花の名残はあるがより死体に近い。葬儀屋の破滅的な過ちのように。

どうにかそこを通り過ぎて、キールはあの生物の気配を感じ取ろうとした。大きな個体であることは間違いない。猫のような四つ足の生き物かも知れない。少なくとも、全長はコロックス2頭分はあるだろう。体高はセンチネルより高い。キールのちっぽけなインターセプターより、頭2つ分高いかもしれない。

あの少女が言っていた。

エンバーを辿って木々の横側を登り、崖を越え、地面をくまなく捜索しながら、キールはこのことについて熟考した。そして、結晶質の跡が時折かき消えていたことが再度キールの頭をよぎった。まさか――

まさかあれは空を飛べるのか。優雅な壊死の匂いを漂わせた、翼のある捕食者。ストライダーの船室ほどもある巨体が。

原始的な本能に駆り立てられ、キールは一歩後ずさった。

コロッサスを持ってくるべきだった。

***

その夜のキールの気持ちは、不安と歓喜が半々だった。死体の中には新しいものもあった。クリーチャーの餌場がわかった。きっとあそこに戻ってくるに違いない。

ウルヴェンの足を引き裂きながら狩猟小屋を建てることについて思案していると、呻き声が風に乗って彼女の元へと運ばれてきた。今回は少女のものではなかった。

監視塔のひび割れだらけの塁壁の縁から身を乗り出して、キールはスパイグラスで兵舎の天井に空いた穴を覗き込んだ。

センチネルが死にかけていた。臨終の発作を起こし白目をかっと見開いている。信じられないことに、少女は男の肩を揺すぶりながら顔を抱きかかえていた。その間ずっと泣きながら。涙の筋が少女の頬を伝い落ちた。
無意味な行為だったのだ。そしてあれよという間に男の体が硬直した。そしてぐったりとなった。永久に。  

キールは少女が男の体を抱擁するのを、1時間近くも見守った。その後、少女は自分を奮い立たせシャベルを手に柵の外へと出た。悲しみと倦怠感を全身に背負い込み、少女は他の墓の隣に6つ目の墓を掘った。

キールは、スーツからセンチネルの体を取り出そうと悪戦苦闘する少女を見つめた。墓地へ向かって村から死体を引きずって行くのを。少女の試みが失敗に終わるのを。続けるには少女の体が衰弱し過ぎているのを。少女の体の半分がセンチネルの死体の上に、もう半分が雪の上に崩れ落ちるのを。そこに横たわってピクリとも動かなくなるのを。

これを見たキールの心臓が激しく打った。太陽は峰の背後に沈んでいき、空は紫色に染まりつつあった。
突然、少女が体を反らせて空に向かって叫んだ。息を吹き返した少女は、断末魔の動物のような金切り声を上げながら、死体を抱えて墓場へと向かった。

するとその時… 森の端で黄色い瞳がギラリと光った。

胸骨が浮き出て腹部が落ちくぼんだそれらの生き物は、極度に血に飢えているにもかかわらず音も立てず慎重に近づいていた。少女は気付かなかった。使命に打ち込んでいたのだ。悲嘆のあまり我を忘れていたのかもしれない。疲弊し、空腹だったのかもしれない。

群れは前方に跳躍すると、少女の手や髪の毛に噛み付いた。少女は、センチネルの死体をまたぎ足を踏ん張って、無我夢中でシャベルを振り回した。しかし、たとえ栄養失調ではあってもウルヴェンの体は少女に比べれば巨大だった。最も引き締まった肢体のウルヴェンの体長は優に3メートルはあり、頭蓋骨には金属性の物体が付着していた。たとえ相手が1頭であっても、人間はウルヴェンにはかなわない。ジャベリンがなければ。

1頭がセンチネルの死体の腕に食らいつき、少女の下からその体を引っ張り出した。少女は勢いよく雪の上に倒れ、氷結した地面に頭を打ち付けた。瞬く間に群れはセンチネルの死体を引き裂き、血まみれの肉塊へと変えた。

それから群れは少女に襲いかかるべく前方に跳んだ。鼻を鳴らし涎を垂らして。ギラリと光る牙をむき出しにして。少女は立ち上がることもできなかった。倒れた時の衝撃で一時的に意識が朦朧としていたのだ。

突然… まるでカラスの群れが大群のホタルを食い漁っているかのように、黒い渦の上に緑色の光線が閃いた。1頭のウルヴェンは身体がほぼ真っ二つに断ち切られていた。そのほんの一瞬後にはさらにもう2頭のウルヴェンが倒れていた。
獣たちは状況をすぐに察知したが、森の中に逃走するまでにもうあと3頭が絶命したところで、キールが肉眼で視認できる程度に速度を緩めた。アーマー姿のキールは緊張のあまり呼吸が乱れており、スーツのパッドが滑るほど汗をかいていた。

***

おもむろに目を覚ました少女は、自分が燃え盛る炎のそばで毛布にくるまっていることに気づいた。頭の一部分は発赤し血がにじんでいた。串刺しのウルヴェンがゆっくりと回転している。

キールが近くに座っていた。彼女のいつもの流し目には、決意がにじんでいた。キールはウルヴェンの肉を載せた皿を火の横に置いた。「食べな」

少女はそろそろと起き上がると周りを見回した。肉を見て、ハンターに目をやった。

「食べるんだよ。明日のためにもね」

「…どうして?」

「マンティカーを狩るから」

***

1週間でジャベリンをマスターするなど不可能だ。それでもキールは少女に約束した。撃つことを覚え、飛ぶことを身に付ける。そしてマンティカーを追い詰め、仕留めるのだ。これらすべてを、1週間以内に。

センチネルのスーツはキャプテン専用のもので、特殊な機能が搭載されていた。キールがそれを点検しているとエンバー・リングが僅かに砕け、ほのかな光を放つオレンジ色の塵が地面にこぼれた。だが、キールはそれをブラシで払うとスーツの準備を整えた。もたもたしている暇はない。マンティカーがずっとこの谷に留まっていてくれるとは限らないのだ。

1日で、少女は射撃とリロードを習得した。2日後にはエネルギーシールドのリチャージが出来るようになった。3日後には正面攻撃を仕掛ける味方と自身を守るセンチネル・バリアが使えるようになった。4日目にはセンチネル・キャプテンの使用するライトニングバーストのコツをつかんだ。近付きさえできれば使えるかもしれない。
問題は飛行だ。飛行は初心者には難しい。

ジャベリンの操作訓練と同時に二人は狩猟小屋を作り上げたが、これは慎重に行う必要があった。二人が餌場に足を運ぶたびに新しい死体が増えていたのだ。マンティカーはすぐ近くにいた。

6日目には、少女は基本的な動きは身に着けていた。使いこなすにはあと何年もの訓練が必要ではあったが。キールにできるのは、複雑なことはしないようにとくぎを刺すことくらいだった。急上昇反転飛行に挑戦して背骨がきしむことも一度や二度ではなかったが、

少女は強くなっていった。肉体だけにはとどまらず、精神的にも。訓練を始めてすぐにわかったことだが、少女には生まれ持っての集中力があった。しかしジャベリンを制御し武器を手にすると、その集中力は暗い決意へと変わっていった。キールはそれにしっかりと気づいていた。

反撃の力はすなわち自分の運命をつかむための力、自分の存在そのものを未来へと放つための力だ。

「あなたのこと、悪魔みたいなやつだって言ってた」

飛行訓練を休憩して、二人は谷を見下ろす凍えるような絶壁に腰を下ろしていた。少女はそう言って長い間黙り込んだ。

キールは自分のSMGを磨きながら作り笑いをした。「誰が言ったの?」

「センチネル・ジェニン」

キールは肩をすくめ、作業に戻る。「これまで会った中でいちばん賢いセンチネルよ」

「あんただって賢いよ。悪魔みたい、ね…」

眉をひそめ、冷たい空を見上げた。「いろいろあったんだ」

「あの人のせいでこんな風になっちゃったの?その… 犯罪集団のボスのせいで?」

キールは銃をしまった。「プリンセス・ズィム陛下のこと?だとしたら違う。私だって悪かったわ」

普段ならそれで終わりだっただろう。だが、なぜか先を続けなければという気になった。「私たちは子供の頃に捨てられたんだ。漁船で会ったらしい。言葉も話せないくらい小さい頃から仕事をさせられてた。最果ての地にあるヴァディスの外でのことよ。どこだか知ってる?」

少女は首を振った。

「知らないほうがいい。そこにいる子供はほとんどが奴隷なの。だけど12歳の時、私たちは奴隷なんてやってられないってことになった」

「何をしたの?」

「すべてを盗んでやったわ。かき集めたものは何でも食べた。見返りを求めて物を取引した。それで得た物を友達のために取引した」キールはそこで話を止め、その頃に思いを馳せた。さまざまな計画や罠。嘘に毒。暗闇の中、首を絞めて血に濡れた4つの手。

キールは鼻を鳴らし、あごをこすった。「そこからちょっとエスカレートしちゃってね」

少女はゆっくりとまばたきをした。「人を殺したの?」

「生き残るためよ」

「でも今はケンカしてるの?」

「え?」

少女はつばを飲み込むと言葉を選んで尋ねた。「プリンセスと。だって、“取り入る”ためにマンティカーを狩ってるって言ったでしょ?」

キールはさっと顔を逸らした。この子は聡すぎることがある。ズィムのようだ。

それがキールの心を痛めた。

キールは立ち上がって言った。「明日やるよ。準備しておいて」

***

凍てつく空高くを飛び、二人はマンティカーの餌場へと急いだ。キールが丘の中腹のくぼみにある突き出た部分を指さし、少女がうなずく。二人が作った狩猟小屋はまだそこにあった。

頭上を雲が通り過ぎる。と、周りで何かが動いた。襲われる前にその匂いが鼻をつく。

死と花の匂いだ。

バイザーが暗転し、スーツの警告音がすべて同時に鳴り響いた。空中を回転しながらヘルメットの中で叫ぶ。しかし間をつないでくれるサイファーはおらず、可能なのは直接のコミュニケーションのみ。

全機能が失われていた。背中のスラスターはただの重石と化した。雪片の中に一つだけ小石が混ざっているかのように、重力に負けた重い鉄の体が落ちていく。完全な暗闇の中、世界がぐるぐると回る。

強く砕けるような音が続き、静寂が訪れた。キールは死を覚悟した。

次の瞬間、フェイスプレートが吹き飛んだ。酸素不足を電気系統が検知したのだ。しかし、エンバー・リングから動力を得ている物に関しては一つも動いていない。武器はほとんどがどこかに飛ばされている。残ったのは一つ。

辺り一面の雪景色。雪がひらひらと舞い落ちる。何も動くものはない。キールにはただ絶望してもがき、少女を呼ぶことしかできなかった。

スーツが使い物にならなくなれば死ぬしかない。フリーランサーの格言の一つ。皮肉っぽいが真実だ。壊れたスーツはただの棺桶でしかない。

パニックにならないように自分に言い聞かせる。ささやいたり叫んだりして、スーツが自動的にリセットされることを願ったが、彼女の耳に聞こえるのはエンジンが冷却され、金属が収縮する小さな音だけだった。パニックにならないようにという意識をよそに、パニックが大きくなっていく。

そしてキールより先に、マンティカーが雪の地面に打ち付けられた。

巨大なマンティカーだ。2体のアーシックスが背中合わせになったかのような姿をしている。低い位置にある長く爪のある足や、筋ばった尾、分厚い筋肉を持つ体つきは猫のようだ。フォートの裏通りにいる猫に似ている。

犬のような巨大な頭部には湾曲した大きな角があり、薄い唇からは光る歯がいくつも弧を描いている。青味がかった灰色の体は、ピカピカした藍色の鱗とまばらな毛皮に交互に覆われている。頭部前面には、ピンク色に光る5つの小さな目が菱形に並ぶ。その5つすべての目がまっすぐにキールを見据えていた。

マンティカーが近付いてきて、キールは助けを求めて叫んだ。近付くごとに、臭いがどんどん強烈になる。バラの香り。腐敗していく肉の臭い。

しかしキールが次に目にしたものは、具現者の神話にはなかったものだった。

ロープほどの太さで透明な、ピンク色の蔓が2本、マンティカーの肩からくねるように出ていたのだ。マンティカーの体の上で、その蔓は螺旋状にねじれ、様々な形になっていく。図形。何かの形。

具現者の言葉。

まるで水中にあるかのようにたゆたい、流れる。そして地面に触れると、触れた所からどぎついピンク色のエンバーが完全な形をもって現れた。

突然スーツがぴくぴくと動き、モーターが作動した。まるで死にかけの脳に死体が操られているかのようだ。スーツのエンバー・リングがキーキーと小さく音を奏で始めた。

エンバーと会話しているのだ。 

不意に、センチネルのエンバー・プラグインが音を立てていたのを思い出した。あれはマンティカーに攻撃され、改造されていたのだ。おそらくはその形を歪められ、変えられ、セラミックの接続金具に擦りつけられていたのだろう。ジャベリンはエンバーが少しでもずれると動かなくなる。このことに気付かなかったなど愚かすぎる。

キールの動揺を感じ取ったかのように、マンティカーはうなり声を上げ、頭を低く下げた。下半身を高く上げ、前後に体重移動する。次には飛び掛かってくるだろう。キールは死ぬまでめった打ちにされるのだ。二枚貝の中身を引き出すように、キールの体はスーツから引きずり出されてバラバラにされるだろう。

アサルトライフルの射撃音が鳴り響き、一つの影が近くに降り立った。降り注ぐ弾丸の中、マンティカーは後ろに下がる。ピンク色の蔓が偏向バリアへと形を変える。センチネルのスーツに身を包んだ少女が前に飛び出してキールのそばに立つと、シールドバリアを展開した。

「立って!」

「無理!あの蔓に触れられないようにしな!スーツがやられる!」

しかしマンティカーはうなり声を上げると、雪の上にはっきりと2本の線を描きながら前へと突撃してくる。腹の底からうなり声を上げ、少女を攻撃しようとバリアに飛び掛かる。

少女はそれを信じられないほどの素早さで避けた。キールのスーツの背中にあるリリースバックルをはじき、それからマンティカーを退ける。

スーツが開いた。キールはスーツから這い出ると、スーツの太もも部分をつかんだ。ボルトランスを手に取り、空高く突き上げる。手のひらほどの大きさのシリンダーの両端から、白い稲妻が音を立てて出力されている。キールは雪の中、少女とマンティカーを追って足を踏み出した。

マンティカーは少女のほうに横腹を向けると藍色の鱗で銃撃をはね返し、太い尾を一振りして少女の手から銃を弾き飛ばした。その周り一帯に、凍ったガラスが噴き出したかのように、ピンク色のクリスタルが地面から現れている。また別の攻撃を避けた少女は、雪の中を転がると銃を拾い上げ、最大出力で撃ちだした。恐ろしいピンク色の蔓が少女に向かって伸びたが、あと少しの距離で触れることがかなわない。

一瞬の動きで、キールは自分の体をピストンのように緊張させると、槍を投げつける準備を整えた。しかしキールは躊躇した。投げられるのは一度だけ。リチャージするためのスーツもなければ、別の攻撃を行う武器もないのだ。

マンティカーがその瞬間をとらえた。一瞬で、ピンク色の蔓がワイバーンの翼のように形を変え、マンティカーが上空に飛びあがった。

少女がそれを追う。少女とマンティカーは空に向かって一気に上昇し、雲の中へと消えた。

キールは前方へ駆け出しながら空を見上げる。雲の中ではピンクと青、そしてアサルトライフルが撃ちだされる光の点滅が稲妻のように光っている。キールにはただ見ていることしかできなかった。息を大きく吸って耳を澄ませる。

突然、ピンク色のクリスタルがそこらじゅうに降り注ぎ、恐ろしい武器となって雪のなかに叩きつけられた。キールは木の下へと逃げた。マンティカーが雲をエンバーの嵐へと変えたのだ。

マンティカーは雲から飛び出すと、嵐の乗り手であるかのように恐ろしい雨の中を走り抜ける。そしてキールを発見すると、攻撃しようとまっすぐに飛び出してきた。その爪に捕らわれた少女はぐったりとして生気を失っている。

キールは木の生い茂るところに向かって森の中を必死に逃げた。マンティカーがそれを猛スピードで追いかける。蔓は羽のような形を解き、それをくねらせて地面や木々を引っかく。そこから出現する恐ろしいクリスタルが森を飾り立てていく。

だが木に救われた。マンティカーは木々の間を真っ逆さまに墜落し、いくつかの木を半分に折り、地面を転げまわり、積もった雪を蹴り上げた。マンティカーは混乱していた。キールを見失った。背後にキールが滑り込んだことに気付かなかった。キールが槍を掲げたことに気付かなかった。

電撃の大爆発が雪を噴き上げ、湧き出した多数のエンバーの尖部が突然マンティカーを飲み込んだ。キールは後ずさり、まぶたを強く閉じた。

嵐が鎮まると、もう一度目をやった。ピンク色のクリスタルの茂みは成長して高くそびえ、その輪の中にあるものすべてを覆い隠そうと外側に広がっていた。中心からは青い光と火花が空中に向かって伸びている。谷周辺に、低いうなり声がこだました。

少女の気配はない。

キールは直立する透明な石の間を慎重に歩いていき、戦いの震えが残る手で獲物をつかんだ。

マンティカーは青い光を放つ煌びやかな網に捕らわれていた。ボルトランスから放たれた電撃がマンティカーの周りに網のように凝縮され、肢を捕えるとともに麻痺状態にさせているのだ。蔓はすでに意識を持って制御されてはおらず、力なく上方で揺れている。5つの目が静かな怒りで光っている。

少女はそこにいた。マンティカーの上に立っている。雪の中でスーツから湯気が立ち上る。少女はライフルを手にしていた。

「お前が殺した」、そうつぶやく。驚きで放心状態になっているかのようだ。 

キールはこれから起きることを知っていた。自身の生存が叶ったことで、これを妨害せねばという声が聞こえた。狩りが台無しになる前に少女を止めろと。

「みんなを… そして私の持っていたものすべてを」少女がマンティカーの頭部、菱形に並ぶ目の中心に銃身をあてた。そのまま脳に達するまで殴ろうとしているかのように、少女はそれを全体重をかけて押しつけた。引き金にかけた指が震えている。その顔は復讐の熱で赤く染まっていた。

キールは動けないでいた。キールが必要としているのは生きたマンティカーだというのに。少女が持つ銃の銃身から、キールは自分の未来が2つの大きく異なる方向に分かれていくのを想像した。

しかし、少女はそのまま倒れた。少女の手から銃が転がり、膝から雪の中へと落ちていった。涙を流す少女の顔からは、赤い熱が消えていった。

キールの目には、村の墓地で泣き叫ぶ子供が映っていた。そうすることで地面に飲み込まれていくというのに、全力で冷たい土に抗っていた少女が。自らも落伍者となる時が来たのだ。

その瞬間、キールはこの少女に親しみを感じた。

***

ファンファーレが鳴り響き、小姓が入廷を告げる。「レディ・オーシュキール」

その「貴族」はハンターとして別れた。光り輝く黒いアーマーに多くの武器を身に着け、ズィムの宮廷へと姿を現す。

「おやおや… ハンターが伝説的な偉業から戻ってきたか」洞窟の風で灯りが波打ち、プリンセスに黄金色の光を当てている。彼女はいつものように暗く微笑んだ。

キールはそれを横目で見るとお辞儀をした。「陛下」

ズィムは子供とかくれんぼをしているかのように、芝居がかった様子で気取った笑いを浮かべた。「何だ?マンティカーを捕まえたのではないのか?」

宮廷中に忍び笑いが広がった。これがレディ・オーシュキールを排除するための偽の任務だと皆が知っていたのだ。特攻任務だ。何度もプリンセスを失望させてきたハンター。失墜した友人。
「代わりにここにいるのはみすぼらしいネズミだ。それに… この臭い!」ズィムが鼻の前で手をひらひらとさせる。「風呂が必要だな。見つかればの話だが」、ズィムはたっぷりと意味を込めて声を上げて笑った。

しかし、キールはズィムの目から昔からの決意を感じ取った。「プリンセス」の役割を果たすための義務を。一切の同情を消し去る必要があることを。特に、自分の役割を十分に果たすことのできない旧友への同情を。

キールは背筋を伸ばし、刻印の入った箱を差し出した。部屋の悪臭が急激に強くなる。一瞬とは言え、プリンセスですらもそのユーモア感覚を失いそうになっている。

「ヘリオスト北部の谷で、1体… あるいは複数の中の1体だったかもしれませんが、マンティカーを発見しました。地元の村を壊滅させ、センチネルや多くの村民を殺し、そこに生きる動物を絶滅寸前まで狩ったマンティカーです。餌場まで追いはしたのですが… 死んでしまいました。アルカニストのために複数のスケッチを残しています」そう言うとキールはマントから巻物入れを取り出した。

アルカニストの1人が眼鏡をくいっと上げると、それを取り上げようと勢いよく進んできた。しかしズィムは厳しく眉をひそめて手を挙げ、それを制止した。「我が望んだのはペットだ。絵ではない」

キールは頷いた。「狩りの途中で、村の唯一の生き残りと知り合いました。マンティカーは彼女からすべてを奪ったのです… 生き延びたいという意志以外のすべてを」

ズィムの視線が暗くなる。これは犯罪集団のボスの急所を突く危険な方法だった。

「陛下、私は彼女にマンティカーを譲ったのです。マンティカーを必要としていたのは私達よりも彼女の方でしたから」

ズィムがキールの顔をじっと見つめている。キールは自身が瀬戸際に立たされていると感じていた。

「謝罪の印として、贈り物があります」、そう言ってキールは箱の蓋を持ち上げた。

中に入っていたのは臓器だ。ヒトデときのこ、イカを組み合わせたようなビチャビチャと蠢く何かで、死肉を発酵させたものの中にバラの花束が巻かれているような臭いを放っている。「若いマンティカーのフェロモン袋です」

3人の貴族と宮廷のコロッサスが絨毯に嘔吐した。それ以外の人間のほとんどが部屋から逃げ出した。すぐに、部屋に残ったのはズィムとアルカニストだけになった。アルカニストはズィムに強くつかまれて逃げられなかったのだ。

「このような奇妙な貴重品の利用法を、陛下なら見つけられるかと思いまして」そう言ってキールは箱をプリンセスへと差し出した。

ズィムはゆっくりと、しかし大きく微笑みを浮かべた。箱を閉じ、アルカニストに身振りで示した。アルカニストは渋々その箱を受け取ると、キールの手から巻物入れを奪い取り、足早に逃げ出した。

そのあと、ズィムはキールの腕を取った。「オーシュキール…」、ズィムの声音は低く誠実だった。「我が王国で他の宝物の何よりも価値あるものは、お前の能力なのだと思い出したぞ」

キールは深呼吸をすると、お辞儀の動作に移った。しかしズィムはそれを制すると、代わりにキールをティーラウンジへと導いた。「さあ、マンティカーの件だ。すべて聞かせろ。省略なしですべてな」

二人は座ってお茶を飲んだ。貴重な輸入菓子を何皿もつまみながら、二人はお茶をお代わりした。キールは細部にわたってすべてを話した。ズィムは大きな興味を持ってその話に耳を傾けた。気が付くと二人は声をたてて笑っており、昔の冒険の思い出を語っていた。そして、長年の時を経てようやくキールの心は満たされた。

しかし、キールの脳裏には幾度となく最後に会った時の少女の姿が思い出されていた。断崖の上に立ち、破壊された村の瓦礫を見下ろす少女の姿が。骨のように白い、人類が生み出した最強の武器であるジャベリンを身に纏った姿。自分の存在そのものを未来へと放つ姿が。

そんな姿を脳裏に描き、キールは微笑みを浮かべて、自分の冒険がいつか子供たちに語られる日がくるだろうかと考えた。獣を捕らえに来た悪党ではなく、英雄を生み出した悪党の話として。

表面上は星座にふさわしい物語のように思える。言葉を覚えるため、星々と語られる物語に。 

 


Jessica Campbellに感謝を込めて。


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